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百年前の昨日と今日 1922年7月27日(木)28日(金) 井上正子日記

1922年(大正11)7月27日

七月廿七日 木曜日 晴 起床六時 就眠十一時

知恩院の境内で同窓のクラス会を催す筈であったが、今朝急に、やはり同じクラスであった本間さんの凶報が来たので私等は止めにした。

お悪いと云う事はクラス会御欠席のお返事で知ってはいたが、こうまでは思いもよらなかった。

一年間御養生のため、一年級上であったのに私等と三年生から同級の方になったのである。非常の勉強家で、すべてにおいて熱心な事はみんなも感心していたのである。

身体を大変大切になすって、一寸した事も心配なすって欠課[欠席]なすった事もあった。その故か、体格検査の時、佐伯先生も〝立派な体格です〟って褒めていらっしった。私等は〝本間さんは長生きなさるよ。あんなに用心深いのですもの〟と言い合い、実際そう信じもしていたのに、こんなになろうとは思いもしなかった。お気の毒な事である。

悼ましい死に対して心からの冥福を捧げる。 


1922年(大正11)7月28日

七月廿八日 金曜日 晴 起床六時 就眠十時

朝早くからしんし張りをお手伝いする。青々とした緑の木蔭に悦ちゃんと競争にしんしを動かす。いつでも私の勝ちで、悦ちゃんくやしがっていた。でも一生懸命にしたおかげでおひるまでには随分沢山出来た。

午後は私の浴衣を縫い始めた。夕方までに大方出来上がった。



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百年前の一昨日と昨日と今日 1922年8月28日(月)8月29日(火)8月30日(水) 井上正子日記

1922年(大正11)8月28日 八月廿八日 月曜日 晴 起床五時 就眠十時 朝食後、直に大谷大谷[東山の大谷祖廟/図地 g-3]へ参詣に行く。黒味を帯びたる緑の松の木の間からかすかに美しい朝の日の光はさしこんでいる。 石の敷石は掃き清められているのが遠く連なっている。 二、三の人影が見える。私の歩む下駄のひびきがはっきり分かる。 静かな朝の気分にうっとりとひたりながら何にも考えないで足を運ばせる

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