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百年前の昨日1922年6月25日と今日26日 井上正子日記

私等の上にも稲作は大切な問題なのである。共にこの雨を心から喜ぶことができなければならないのだ。(6月26日)


1922年(大正11)6月25日


六月二十五日 日曜日 雨 起床六時 就眠十時

とうとう雨が降り出した。これがきっと梅雨だろう。

私等は今朝、地久節ちきゅうせつのお祝いに学校へ行く。

校長先生はおっしゃった。地久節に待ち上ぐんだ〔待ち倦んだ〕雨が降った。喜びの瑞祥に違いない、と。ほんとにそうだ。私等はその雨の中に、国母陛下[貞明皇后_昭和天皇の母]の御誕辰をお祝いするのであった。

一人一人に分けていただいた捧花ささげばなの一つの清楚な国母こくも陛下の御徳の様な純白のきくを手にし、私等は雨の中を帰るのであった。

種ちやんはやっぱり悪いそうである。

私等はやっぱり絶望しなければならないのかしら。




1922年(大正11)6月26日

六月二十六日 月曜日 曇後雨 起床六時 就眠十時

長い間の旱魃かんばつに、農村では水のため血を流そうまで配水の争いがあるとの噂を聞く毎に恐ろしい様な気がするのだったのが、昨日からやっと雨は降って来た。

雨乞の精一杯の尊い農民の真心からの声が天に通じたのだろう。

一滴のしずくさへも尊いのに、こうして、雨が降ればどんなにか喜んでいる事だろうと思われる。直接に関係はしていないが、私等の上にも稲作は大切な問題なのである。共にこの雨を心から喜ぶことができなければならないのだ。

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1922年(大正11)8月28日 八月廿八日 月曜日 晴 起床五時 就眠十時 朝食後、直に大谷大谷[東山の大谷祖廟/図地 g-3]へ参詣に行く。黒味を帯びたる緑の松の木の間からかすかに美しい朝の日の光はさしこんでいる。 石の敷石は掃き清められているのが遠く連なっている。 二、三の人影が見える。私の歩む下駄のひびきがはっきり分かる。 静かな朝の気分にうっとりとひたりながら何にも考えないで足を運ばせる

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