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百年前の昨日と今日 1922年8月17日(木)8月18日(金) 井上正子日記

1922年(大正11)8月17日

八月十七日 木曜日 晴 起床五時半 就眠十時

昨夜晩くまで火の見で大文字を見ていたのが悪かったのだろう。弟は又朝から少し発熱してふしている。

もう夏中休暇もお終いになって来た。今年はどこへも家を借りたりしなかったので、お家にばかりいたから家事のことは十分にお手伝いした。


1922年(大正11)8月18日

八月十八日 金曜日 晴 起床五時三十分 就眠十時半

午前歯医者に行く。暑中休暇の初めの頃から殆ど毎日の様に通っているのだけれど、よ程質の悪い歯と見えて、まだ両方ともに奥歯が痛む。

右の方はとても駄目なので金をはめる。何だか今時分から金を入れるのはいやな様な気もしないではなかったが仕方がない。

弟等が「姉ちゃん笑っても見えないね。もっと大きい口で笑ってごらん。まだ見えないよ、もっと大きい口をあいたらば」なんて、随分ひやかすのだった。

夜橋立[〈天橋立あまのはしだて〉京都府北部宮津湾にある砂洲]へ行ってらっしゃるお友達にお手紙いただく。




徳正寺の六角堂(正子日記の発見された納骨堂)の地下から出てきた「火見塔」の図面。

明治末、本堂・庫裡を施工した工務店の図面と共に発見されたので、徳正寺の境内に建設される予定だったのかもしれない。当時(明治末〜大正初期)の境内を写した写真には、この図のような火の見塔(火の見櫓)は見られず、図面のスケールから高さ約20メートルもあるので、未建設に終わったのだろう。日記に出てくる「火の見」はおそらく建物の屋根に設置された物見台のようなものだったのかもしれない。

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1922年(大正11)8月28日 八月廿八日 月曜日 晴 起床五時 就眠十時 朝食後、直に大谷大谷[東山の大谷祖廟/図地 g-3]へ参詣に行く。黒味を帯びたる緑の松の木の間からかすかに美しい朝の日の光はさしこんでいる。 石の敷石は掃き清められているのが遠く連なっている。 二、三の人影が見える。私の歩む下駄のひびきがはっきり分かる。 静かな朝の気分にうっとりとひたりながら何にも考えないで足を運ばせる

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