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百年前の今日 1922年5月21日 井上正子日記

1922年(大正11)5月21日


五月二十一日 日曜日 晴 起床六時 就眠十時


二日目の記念事業の追悼祭は午前八時から挙行された。

神官によつて人生に於いて最も悲痛な死、それによつて此の記念式に列席する事の出来なかつた人々の冥福は祈られたのである。

午後学芸会が開かれた。

最も可愛いく思はれたのは本科一年生の談話や唱歌だつた。

朗読にしても英詩暗誦にしても中々達者に、美しい声と発音に感心させられた。本科五年の席画には次々と美しく画かれる、巧みな筆に大かつさいするのであつた。

四年のコーラスには宮様もお歌ひになつて上手だつた。

ピアノ独奏は今村さんのが一番いい様な気がするのだつた。

本科三年の歴史と文化は三年とは思はれぬ程、立派な統一した文体で話す人の態度も口調も堂々たるのには感心した。

独唱は松村さんも丹波さんも美しい声音と巧みな唱ひぶりに皆歌の終はるまで緊張するのであつた。

英語対話と浦島の対話には皆すつかり感心してしまつて、実際其の稽古と出演者の熱心とが推しはからるゝのであつた。

お教へになつた先生方の御心労もどんなだつたらうとつくづく考へさせられる程私等は感じ切つたのであつた。

だけど私等が出演した合唱については今こゝでこれを書き記す事の出来ぬ程駄目だつた。今日の中で最も悪かつたと云はれても私等はうつぶいて黙してねばならぬ程哀れなものであつた。やはり私等が下手だつたのだと悲観してしまつたのである。

情けなくてたまらない。




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1922年(大正11)8月28日 八月廿八日 月曜日 晴 起床五時 就眠十時 朝食後、直に大谷大谷[東山の大谷祖廟/図地 g-3]へ参詣に行く。黒味を帯びたる緑の松の木の間からかすかに美しい朝の日の光はさしこんでいる。 石の敷石は掃き清められているのが遠く連なっている。 二、三の人影が見える。私の歩む下駄のひびきがはっきり分かる。 静かな朝の気分にうっとりとひたりながら何にも考えないで足を運ばせる

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