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辛丑秋季彼岸会の法話

 岩波書店の『国語辞典』で「ひだり【左】」という言葉を引きますと、「東を向いた時、北の方、また、この辞典を開いて読む時、奇数ページのある側を言う」と説明されています。いま私は東に向いておりますので、北はこちら、私からみて左です。

 これを北に身体を向けると、左は西に向くことになります。西と言いますのは西方浄土、阿弥陀如来がいらっしゃる方角です。 

 お経の本は、縦組右開となっていますが、行を追って読むのは、右から左へと読んでいきます。巻物でも絵巻でも右から左へと話が進んで行くのは、縦書きの文化圏では当たり前のことになっています。

 今日、わたしは内陣の北側に座ってお経を読みました。このとき私は南を向いて座ってお経の本を開いていたので、右から左へと行を追って読んでいました。方角で言うと西から東へとなります。

 反対に南側に座っていた駒井くんは北を向いてお経を開き、東から西に向かってお経の文字を追っていたことになります。

 内陣で読まれるお経と言いますのは、このように西から東、東から西へと流れるように読まれていることがわかるでしょう。

 すなわち、東から西へと読まれるお経は、浄土への歩みを綴る行、「行い」と見立てることができそうです。そして西から東へ読まれるお経というのは阿弥陀如来の本願、われわれひとりひとりに慈悲の声をお掛けいただいているように思われてきます。

 真宗寺院の仏堂は「本堂」と呼ばれております。ここも本堂です。阿弥陀如来を本尊とし、礼拝者が本尊に向かって手を合わせるとき、西方浄土に向きあうように建てられております。

 本堂という仏堂様式は、平安時代中・末期に生まれた建築様式だと言われ、堂内に本尊を安置する内陣と、礼拝のための外陣を設けています。外陣とは外の陣地の「陣」と書きます。奈良時代までは本尊を安置する仏堂と言えば、「金堂」、「仏殿」と呼ばれており、礼拝や儀式の参拝は堂の外で行われていました。東大寺大仏殿、近くでは建仁寺の法堂などがそうです。堂内に入るとそこは仏の世界で、われわれ人間が立ち入ることのできない世界を現していることがわかります。そのため、人はどこから拝めば良いかと言うと、礼拝のため人が集まるための礼堂【らいどう】と呼ばれる建物が、仏殿に寄り添って建てられるようになりました。平安時代になって、これらを一棟の建物として造ったのが本堂の始まりだといいます。すなわち礼堂の空間が外陣となったのです。

 本堂は、人が礼拝する外陣と、仏のいらっしゃる内陣がひとつ屋根の下に置かれることで、仏と人のあいだがより接近し、人から仏、仏から人へという、自らが仏となる道を歩むという、仏教の根本の仕組みが、一つ屋根の下の空間として実現したと言うわけです。

 本堂という建築様式が生まれることで、「人間が仏の空間におしよせ、仏と対話をはじめること」ができるようになったのです。

 今日はお彼岸の入りの日です。太陽がま東から昇り、ま西に沈んでいきます。われわれが生きる此岸、こちらの世界が、真西に沈む日の光に一本の条(すじ)となって通じあえる時です。今日、この本堂においても、彼岸と此岸とが一条に結ばれていたと感じていただけたのでしたら、ありがたいです。



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