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深草善福寺訪問

まだ春先のことだが、徳正寺の歴史にかかわる奇縁があった。

ホームページ開設前に記した日記を再録する。



3月9日(火)

 伏見で御門徒の仏壇を仕舞う読経を勤めてから、日はまだ高く春の陽気に寺へ帰るのももったいないなと、足を東へ向けた。  以前、駒井学兄が教えてくれたのだが、徳正寺の四世祐願の実子が、桃山時代に開基した寺が深草の山の辺にあることを知り、かねて訪ねたいと考えていた。グーグルマップを頼りにくねくねと細道を行くと石段の上に古びた門が見えた。ひと目みて長くこの地に根を張った寺だとわかった。  門に近づくと、なんと表札の苗字が「井上」と同姓であることに驚き、門の屋根にかかる寺紋が竹に雀とこれも徳正寺と同じでたまげてしまった。なんだか遠い親戚を尋ねあてたような、長い旅の目的地にたどり着いたような気がした。  前もって連絡をしていないことに、ほんの少し躊躇はしたものの指はすでにインターホンのボタンを押していた。女性の声がして、来意を告げると、「徳正寺さん! いますぐ出ます」とまるでよく知った人の来訪を受けるような弾む声に虚を衝かれていると、わたしより少しご年配と見える坊守さん(あとで住職だとわかる)がでて来られて、「徳正寺さんのことは母からよく聞いていました」と切りだされたので、わたしも同じ苗字で開基をたどってここに参りましたと、前もって徳正寺を知っておられたことに改めて驚いてたのだった。  住職は不在なのかと思っていたら、早くに他界され、いまは彼女が住職を勤めて、数年先の息子さんの帰りを待っておられるとのこと。前住職は息子さんがまだ小さい時分、本堂の改築落慶を見ずに他界されたと聞いた。  住職は、先住の父、先坊守の母から徳正寺との古い縁を小さい時から語り聞かせてもらっていたそうだ。その言い伝えがいつから始まっていたのか、この寺を訪ねるまでの時間の長さを思うと、自分の後ろと前にひとすじの廻廊が延々と続いているように思えた。





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