詩祭 百年のわたくし

 詩祭〝百年のわたくし〟に参加する方たちに宛てて発信したメールの一部を転載します。

〝百年のわたくし〟を〝詩の朗読会〟から〝詩祭〟としたことについて考えを披瀝しました。そのあと松本を散策し、目に入ったポスターには〝祭〟のもつ意味について記されていて驚いた顛末。

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昨日、荒木みどりさんを久しぶり訪ねました。みどりさんも三年ぶりの詩祭、とても楽しみにされていました。

雑談するなかに、「詩祭」について話したのですが、そう呼ぶことで、〝百年のわたくし〟

が彼岸や報恩講などと同じ、寺の年中行事と同じように思えるようになったと語りました。

本堂とは、もともと仏の法(教え)を聞く聞法もんぽう道場であり、ここでいとなまれる法会は仏と出会う場となる。疫病が流行ったこの2年半、盆や彼岸会の法会をかろうじて中止することなくできたのは、聞法の場が失われてはならないと思ったからでした。

〝百年のわたくし〟も、わたくしにとってもっと広い意味での聞法の場だったと考えはじめていたのです。それが〝詩の朗読会〟から〝詩祭〟になったことの理由だと思いました。

3年前、『現代詩手帖』で隔月で2年間連載していた「生存のための書物」の最終回は本堂を書物に見立てた考察、エセーでした。百年のわたくしの回数を〝巻〟と表していたのは。本堂の空間が書物だったからなのか、と今さら思いました。




さて松本に着いて、ファストフードで朝ごはんをしながらお便り書きました。

これから松本を散策してきます。


2022/09/16 7:21 (9 日前)


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百年のみなさま

松本の町を歩いていて一枚のポスターに目がとまりました。

どこかで見たことのある親父、いや役者の串田和美さんです。

何年か前に串田さんがセルビアを旅公演したさい、かよこさんが通訳をされたことを聞きました。

串田さんは両親の若い時からの友人で、かよこさんが串田さんから徳正寺のことを聞きましたよとお便りがありました。

縁というものはどんなに遠く離れていても結ばれるものなのだなぁ、と思いました。

そして、その横に貼られたもう一枚のポスターに串田さんの演劇祭にかける想いが綴られていました。

今朝方、詩祭についてつたない想いを巡らしていたので、びっくりしました。

ご報告まで。




2022/09/16 9:18 (9 日前)

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