百年前の昨日1922年6月14日 井上正子日記

死者にすまないが、たまらなく宗教・生の意義それらについて考える余裕をお持ちにならなかった様な気がする


1922年(大正11)6月14日


六月十四日 水曜日 晴 起床六時 就眠十時

先生からも色々、〈生の事〉、〈死の事〉、〈私等〉、時代の思想なくなくなられた方の心持ちをお伺いする。そして佐々木さんの事、色々伺うと、それでは死者にすまないが、たまらなく宗教・生の意義それらについて考える余裕をお持ちにならなかった様な気がするのであった。

けれどこんな私の考えは、第三者としての想像に過ぎず、尊い佐々木さんのみ霊にすまない事である。ただ感じたままを書いたのみである。

お葬式は今朝行われて、総代の方が私等に代わって参列して下すった。

今度の事に、あり様筈のないつまらない事実を新聞にのせられた武市さんには、私等は一層の同情をもっているのである。




 昨日、御門徒参詣の合間に京都府立図書館を訪れて、『日出新聞』大正11年6月刊行分を収録したマイクロフィルムを閲覧し、自死した佐々木照子氏の遺書を見つけた。


ああ、私は今が最後であります。空にはお月様がとして輝いて居ります。私も今、お月様の側へ参ります。

ああ! 何と言う幸福な年月であったでしょ。お月様はますます輝きをつよくして、私をお誘い下さいます。

お月様、どおぞ早く私をお迎いに来て下さいませ。

星様も私に幸を与えて下さい。もう最後が迫りました。

あゝもう瞳にも何も映じなくなりました。之れが最後で御座います。

お父様、私はわがままをばかりいたしまして、どうぞお赦し下さいまし。そしてどこにかへ葬って下さいませ。皆様のお健〔康〕をお祈り申します。

さらば

 六月十一日午後十二時

照子

『日出新聞』(大正一一年六月一三日朝刊第3面)


 日記(6月13日)に引かれた遺書の引用と文面が違うのは、徳正寺で購読していたのは『大阪毎日新聞』で、正子が読んだものと、『日出』の文面と異なったためだろう。恐らく取材時に原文が示されず、記者が〈遺書〉の内容を聞き書きから構成したものかもしれない。

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1922年(大正11)8月28日 八月廿八日 月曜日 晴 起床五時 就眠十時 朝食後、直に大谷大谷[東山の大谷祖廟/図地 g-3]へ参詣に行く。黒味を帯びたる緑の松の木の間からかすかに美しい朝の日の光はさしこんでいる。 石の敷石は掃き清められているのが遠く連なっている。 二、三の人影が見える。私の歩む下駄のひびきがはっきり分かる。 静かな朝の気分にうっとりとひたりながら何にも考えないで足を運ばせる