百年前の今日 1922年7月15日(土)


永久に悲しみをきざみしこの日は美しい夕映えをのこして暮れて行く。


1922年(大正11)7月15日

七月十四〔五〕[〔五〕は朱字で教師が訂正]日 金〔土〕曜日 晴 起床六時 就眠十一時

午前、式がある。休暇中の色々の御注意等、校長先生より承る。

新しい通知簿をいただく。どんな成績かと一種の恐怖におののきながら見る。私は失望した。そしてこの学期の努力の足りなかった事を悔いた。

父上、母上に見ていただく。〝初めてなのだからね。でもこれで結構です〟とおっしゃった。私はさびしかった。私の頭はそんなものかしらと。

一日、死日[従弟の命日(七月一五日)]がちがう様です[欄外に教師の朱記]


1922年(大正11)同日(7月15日)

七月十五日 土曜日 晴 起床六時 就眠十一時半

とうとう最後の日は可憐な従弟の上に恐ろしい暗い死を宣うた。

安らかに唯一人苦しみもなく生の国にいとまを告げたそうである。

みんなは覚悟していた。けれどけれど、やっぱり奪われた悲しみの涙ははらはらと落ちた。

永久に悲しみをきざみしこの日は美しい夕映えをのこして暮れて行く。

私は清く蓮上に行く従弟のためにわびしい念仏を捧げるのであった。



一九二二年(大正一一)年七月のカレンダーを見ると、七月一四日は金曜日、一五日は土曜日である。「十四日」と記された日付を、教師が朱字で「十五日」と訂正していることから、一学期の終業式は七月一五日に営まれたと考えられる。従って、この日の曜日は〔土曜日〕と訂正されなければならない。そして、「とうとう最後の日は」と書き出される翌日の日記は、日付通り七月一五日のことが記されている。従弟の死(七月一五日)により、後日、日記をまとめて記したため、時制の混乱があったのだと考えられる。


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