1922年(大正11)5月22日
五月廿二日 月曜日 晴 起床五時 就眠十時半
運動会は無事にこの美しい第一日和の中にすんだ。
多くの卒業生を迎へ、目覚ましく働く乙女等の胸は元気な運動会の大成功に終はらん事のみを念じてるのであつた。
一年の可愛いゝダンスから、高等科、専攻科の方までもの、ダンスに、競走遊戯にみんなは騒ぐのであつた。
私等の球竿ダンスも上手に出来たつて、みんなから褒められるのであつた。
競走遊戯、風車競走、蛇行旗送りは面白く終はつた。
私等は最後の学級競走待たれるのであつた。
其の番に来た時、全生徒は熱狂した。奮起して手に手に各級の色を握りしめ、選手の出場を待つたのである。
ドン…銃声、そら開始された。一斉に皆の叫び声は青空をつき抜けるまで響いた。その手は、空に力強くふりまはされながら各自の級の優勝を祈つた。
あゝけれど悲痛! 最初二番であつた五年生は、色々の手違いから、あゝ其の願つた優勝は得る事が出来なかつた。
私達は選手を取りかこんで泣いた。泣かずにはいられなかつた。
山田さんの手や足はいたましく白繃帯に巻かれてあつた。
けれど私達は選手を慰めて、数分間後には盛んな美しい、又と見られない卒業生のプロネード[団体行進]に手を打つてるのだつた。
終はりに万歳の声を校庭にひゞかせて帰路についた。
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