1922年(大正11)8月28日
八月廿八日 月曜日 晴 起床五時 就眠十時
朝食後、直に大谷大谷[東山の大谷祖廟/図地 g-3]へ参詣に行く。黒味を帯びたる緑の松の木の間からかすかに美しい朝の日の光はさしこんでいる。
石の敷石は掃き清められているのが遠く連なっている。
二、三の人影が見える。私の歩む下駄のひびきがはっきり分かる。
静かな朝の気分にうっとりとひたりながら何にも考えないで足を運ばせる。やわらかな平和の気分!
いつもの様に本堂と祖父母の墓に詣ずる。
しーんとして時々吹く朝風に、木々は細かくふるうてるばかりであった。
かなり多くの人がいられた。
小さい鉢に睡蓮がかわいい真白に咲いていたのに目がついて、暫く、それを眺めながら休むのだった。
朝のこうした気分も気持ちのいいものである。
1922年(大正11)8月29日
八月廿九日 火曜日 晴 起床五時半 就眠十時
此の頃は割合に朝夕が涼しくなって来た。
直ぐに九月が来るのである。長い夏の休みも随分早く去ってしまった様に思われる。一日一日を考えればそれ程短いとは思われないけれど、ふと考えると、おやもう九月と思わずにはいられない。学校生活と離れてしまって、家の人となったこの四十五日間を思いかえして、私は卒業してしまうのがいやになる。
ほんとに卒業すれば、それやもっと考えて暮らすかも知れないけれど、やはり学校生活の様に、日日はりきった生活をする日の方が少なくなる様に思われる。それを思うとほんとに卒業してしまうのが恐ろしい様になる。
私には充実した日があたえられて行きたい。卒業しても……
1922年(大正11)8月30日
八月三十日 水曜日 晴 起床五時三十分 就眠十時半
今朝新聞を見ると夏中休暇は学生を怠慢にする。[朱傍線]
規律のない日を送っていないし、且つ暑いものだから、一層怠惰な日を過ごして来た癖がついていけないと云う意味のことが書かれてあった。ほんとにそうなのだ。私等にもこの頃はだらける日が多いから。そして自分への云い訳にいつの時も、新学期が始まったら、つとめましょうとばかり云っている。
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