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旅を機縁(きえん)として


 天に墨で写し取られた仏の手を置きました。ここでは縮尺されたものですが、実際の大きさは長さ二メートル、幅四〇センチの〈大仏の手〉の拓本です。これはわたしの伯父、秋野亥左牟いさむ(1936-2011/先代住職 井上〈旧姓 秋野〉等の兄)が、約六十年前、ネパールのカトマンドゥに滞在し、拓本に取って持ち帰った一枚でした。

 毎年秋、この大仏の手の拓本を本堂の天井から吊るして、詩祭「百年のわたくし」という詩の朗読会を十年近く続けてきました。本堂に集った者は、見あげると手だけが見え、身体も頭も遥か雲の上にあるようで、天から差し延べられた手の姿に、どこか仏の慈悲に与っているように感じられるのでした。

 この手の拓本を吊るすたびにいつも思うのは、遠い彼方の仏様の国で、身の丈何メートルもあろう大仏に、伯父はバチ当たりにもよじ登って拓本を取ったのだと、神仏を畏れない伯父の無鉄砲ぶりに思わず微苦笑していました。しかし、伯父は拓本を取る心境を、「私は原作に対する時、原作に刻まれた石工の心や、その時代の魂とさしむかいで対話する」と語っていて、大仏によじ登りながら、その仏像を彫った石工の心と対話し、さらに信心から鑿を振ったであろう石工の「仏との対話」を、拓本を取りながら、手にふれる触覚を通じて感じたであろうと想像するのです。

 記録によれば、この大仏の手は、カトマンドゥの「ソーヤンブー・ナート登り口」にあり、時代は「タクリ王朝期(十世紀)」のものだそうです。カトマンドゥに行けば、この仏様と出会えるのではないか、随分前からそう思いながら、それは早晩には叶わぬ夢だとあきらめていました。ところがどうでしょう、ちょうど一ヶ月前、わたしと従妹の秋野香貫花かぬか(亥左牟の四女)は、写真家・登山家の石川直樹さんの誘いを受けてカトマンドゥを訪れたのです。

 石川さんは昨年秋、德正寺の本堂の天井から吊るされた〈大仏の手〉を目のあたりにし、その手の許で彼が高校二年、十七歳の時にネパールを訪れ、ヒマラヤの姿を初めて遠望した話をされました。「仏の右腕の拓本で、亥左牟さんに見守らているような感覚で、ぼくはヒマラヤの話をしたのだった」と。何が機縁となり運命が切り拓かれるかは誰にもわかりません。私たちの旅は、仏の手に導かれるようにして始まったのです。


石川直樹さんと大仏の手(2025年11月7日@德正寺)
石川直樹さんと大仏の手(2025年11月7日@德正寺)

 「ソーヤンブー・ナート登り口」というのは「スワヤンブナート」のことだろうと目星をつけ、早く行こうとタクシーを飛ばしました。タクシーを降りると、そこは山が聖地となって、頂上にはストゥーパ(仏塔)があり、日常から仏教徒が集まる信仰の場所でした。その山の登り口に色鮮やかな大仏が三体並んでいるのが見えました。



 秋野亥左牟が拓本を取った大仏の手は、三体のうち、どれがそうなのか。一体、一体の右腕を確認し、手の向きの違う右端の一体は除いて、拓本では鮮明に写し取られている手首の蝶番は、長年の間に何度も彩色が上塗りされ僅かな痕さえ見えません。真ん中と左端の二体を外見だけでは決めかねてしまいました。しかし、つぶさに観察して、これが拓本に取られた大仏だと確証する決め手となったのは、小指と薬指の長さの違いでした。一見、同じ姿と見えていた仏たちが、ひとりひとり個性をもつ存在に思えた瞬間でした。


 秋野亥左牟は、この仏によじ登って拓本を取りながら、この仏を彫った石工と心を通わせ、仏との対話をここでしたのだろうか。見あげると猿の親子が大仏の肩に乗っています。きっとそうだったに違いない。私たちは無鉄砲な旅人だった伯父がすぐそばにあるような気がしました。どこまでも広大無辺な仏の手の中で、伯父は無心に拓本を取ったのではなかったでしょうか。

 こんな具合に私たちはカトマンドゥの街を歩き回り、そのあと北インドに出て、ガンガー(ガンジス河)のほとりを延々と歩きました。同じようにしてお釈迦様が、弟子アーナンダをともなって歩いただろうことを思い重ねながら。

 歩いた末に、私たちは大河ガンガーの淵にしゃがみ、鞄に忍ばせて持ってきた、それぞれの父(秋野亥左牟と井上 等)、祖母(秋野不矩)の骨を指で砕きガンジスの流れに散じてきました。立ちあがり、遠く対岸には色鮮やかな点がいくつも行き交っていました。サリーをまとった女性たちです。それを眺めていると、もうそこは彼岸であるような気がしました。


*「拓本について」『「秋野亥左牟によるネパール美術拓本展」図録』神奈川県立近代美術館、一九六八年

 
 
 

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